迷っていたけど、とうとうその時がきた。【日記を捨てた話】

絶賛引っ越し準備中です。

そんな中以前から捨てるかどうか悩んでいた日記をとうとう手放しましたので、そのご報告をいたします。

関連:過去の日記を捨てるかどうか。

ここ数年の日記だけでなく、中学・高校のものも手放しましたよー。

 

思い出系は本当手放しづらいですよね。

できないなら無理に手放さなくてもいいっちゃいいんですけど、でもなぁとずいぶんうじうじしていました。

日記を捨てるかどうか悩んでいますという方の参考になればと思います。

日記を捨てるに至った心境

最初の一歩は中学・高校の時につけていた3年日記。

以前のこの記事には出てきていませんが、この思春期真っ盛りの日記も捨てるか捨てないか悩んだ時がありました。他人に見られたら恥ずかしいランキング堂々の第一位です。自分で読んでも恥ずかしすぎて速攻ページを閉じるシロモノですよ。

でもこれを捨てたら誰もこの頃の「私」を知る人がいなくなる……。

そう思ったらなかなか捨てられませんでした。恥ずかしすぎてがっつり読み返すこともできなかったのに。

 

服や本は意外とあっさり手放せるのですが、思い出系が難しいのは、「もう二度と手に入らない」からですよね。後悔しない保証もない。

さっきからリンクをはっている日記についての過去記事を読み返したら、2014年の日記を捨てたことをちょっと後悔しましたもん。

祖父が亡くなった時の感情のはけ口でしたね……そういえばゴミの日待ちのため現物はまだ家にあry

 

そんな感じで日記とは去年一度向き合ったもののやっぱりまだ捨てられないよ!という結論になりそっとしておいたわけで。

今回の荷造りで久しぶりに再会したのです。

でも日記と再び向き合った時、なぜかすごく憂鬱になったのです。

ページを開け!開くんだ私!捨てるにしても、捨てないにしても開かないことには始まらない!などと脳内は騒ぐのですが、見たくないなぁという気持ちがこみ上げてすっとページを開けなかったんですよ。

嫌だなぁと思いつつ結局日記を開きましたが、もうこの時点で答えが出ていますよね。

だって、日記を読み返してみて気恥ずかしいけど楽しいわ、興味深いわ、だったらとっておき甲斐もあるけど、「日記を開くことがもうすでに憂鬱」って!!

 

捨てたことを後悔する可能性が頭をよぎったけど、そのまま手放しエリアに分けました。

なんだか私、やたらと後悔することを恐れているようです。後悔って過去に属しているため、基本的にはどうしたって取り戻せないからだと思われます。

だから思い切って、後悔したっていいや、と決めました。決めました!

自分で決めたことだから、まあしょうがない。未来の私、もし後悔したらごめん。ただほぼほぼ片思いについてばかりだったよ。それも「全校集会であの人のこと一瞬見れた♪」とかそういうのばっかり。ええ、ええ覚えているでしょう、恋すると基本陰からジトっと見つめている系だったこと。

 

えっと、脱線しましたけど、要は読み返したいと思えなくなっていたから。日記を手に取った時心がずーんっと暗くなってしまったから。手放しました。

一番古い時代のものを捨てられたからか、ここ最近のものは流れるように手放せました。

 

祖父のことだって、亡くなったと知った時の自分の感情よりももっと大切な思い出が残っている。達筆すぎて読めない手紙もある。写真もある。あの時の気持ちも、わざわざよみがえらせたりはしないけど、心に残っていますし。

 

思い出のものを手放すコツ、のようなもの

いやまあ基本的には無理やり手放す必要はないとおもいますけどね。

今回私が手放せた一番の要因は、「引っ越す」ということかもしれませんし。

(迷ったときは「え、これ引っ越し先へもっていく?」と問うのはよかったです)

 

これがコツかもと思ったのは、思い出のモノとは最低「二回」は向き合うということ。

 

思い出のモノって条件反射、問答無用で「大事!捨てるなんてとんでもない!」と思ってしまう面があります。

 

特別扱いせず一つのモノとして客観的に見ること。

一つのただのモノとして、これは私の心が欲しているだろうか。喜んでいるだろうか。と考えること。

 

喜んでる!というのであれば迷わず取っておけばいいし、うーんとなるなら、それでも残しておくの?とさらなる自問自答タイムになります。

 

最低二回、というのは一回目は「客観的に見る」ことで精一杯だと思うからですよね。

 

私にとっての一回目は以前ブログに書いたときになります。

関連:過去の日記を捨てるかどうか。

 

この記事の時は日記を捨てるという結論には至りませんでしたが、記事の最後でそこはかとなく捨てられそうな気持ちになってきています。

日記を一つのモノとしてみた時、ほかの本や服を見るのと同じく自分の心がときめくか否かという基準ではなくて、単なる執着心で見ていたと気がついたような一回目の向き合いでした。

自分が納得する日がくるまで待つ

モノを捨てることは義務ではありません。

度が過ぎる所有は捨てる必要に迫られることがあるかもしれませんけど、基本はそうではありません。

 

捨てられない自分を責める必要はない。だから捨てたい、と思いつつもやっぱり手放せないならそれはそれでOKだと思います。

経験上、その時が来れば自分から手放せます。今のところなぜだかそんな感じです。捨てることができなければそれはそれで大事に持っておけばいいだけのことです。

 

大切なのは、モノと向き合うことだと思います。一回じゃわからなくても何度でも向かい合っていけば、いつか自分が納得して手放す日が来るんだと思います。時も経ちますし。

 

私も手放したいけど、手放せなくて「日記 捨てる」で外に答えを求めたりましました。でも結局「っていわれてもな~」と、自分の心が望まない限り捨てることはできませんでした。

(ちなみにこの時、さんざんリンクをはっている私の「迷ったけど結局保留にしました~」という誰の参考にもならない記事がヒットして申し訳ない気持ちに…)

まとめ:自分の心が決める

つらつら書いてきましたが、要は、

日記や思い出のものを捨てられないのであれば、何度でもそのモノと向き合って、自分の心が決まるのを待つしかないってことです!

時間はかかるかもしれないけど、モノと向き合い続ければ答えはそのうちでるんだなと思いました。

自分の心と向き合うのは疲れますからねー。そもそもモノが少ない方が様々な方面で楽だよなと実感中です。

あ、あと身も蓋もありませんが、モノを減らす一番いい方法は引っ越しだなとこれまた実感しています。

持っていくのが面倒という理由で結構捨てています。(ただいざ捨てるにしても手間とお金がかかるという…)

引き続き荷造り頑張ります!

 

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